2014年3月11日火曜日

俺の妹がこんなに可愛いわけがない 妹を扱う作品として大切なこと


妹(実)をというキャラクターを描く上で本来抜いてはいけない大切な描写について。

二次元の美少女キャラクターの「属性」として、妹というものは確固たる地位を築いています。
しかし単純に妹とそのキャラクターに設定したとしても、それは単純な文字情報でしかありません。
実際の作品でも、同居している年下の異性という以外に差別化ができていないという場合も多々あります。

そんな中で、俺妹には妹が妹であるが故の表現がしっかりと描かれています。
私としては、コレに注目できるかどうかが、作者が妹という存在について思考した熟考の上でキャラクターを描いているか否かの分水嶺になると思います。

それは6巻での赤城との秋葉原での会話で、生まれた日の回想。
桐乃が生まれた日のことは――忘れやしない。(中略)あの日の光景はみんな、まるで昨日のことのように、目をつむればそこに映る。あいつと初めて会った、その瞬間のことも。桐乃は保育器に入れられていて、猿みたいな顔で、眠っていたっけ。
そして12巻でのあやせとの会話
「自分でも意外だよ。覚えてるもんだな、桐乃が赤ちゃんだった頃なんて――はるか昔だってのにさ」(中略)「俺も三歳とか四歳くらいの頃だから、たいしたことはできなかったはずなんだが、妹のおむつ替えたり、ミルク飲ませてやったり、してやった覚えがあるよ。きっとお袋に頼んで、やらせてもらったんだろうな」
つまり主人公が彼女を生まれた時から知っているということです。
これがあることが幼馴染や義妹というものと違った、実の妹という存在が独自にもつ要素の筆頭と言えるでしょう。
子供の頃から知っているというだけならば幼馴染が有しており、家族として同居しているだけならば義妹にも存在しています。
かなり特殊な状況を除けば、出生時を知っている異性というのは妹しかいないわけです。

俺妹のように過去を回想するという方法論以外にも方法は色々とあると思います。
しかし、このことを表現できるか否かが、作品において正面から妹を描けたかに繋がると考えます。


原作の伏見つかさ先生は、実際には妹のいないということですが、それでここまで表現を追求できたということに感動します。
ただし人にもよるのでしょうが実際に妹がいる人間は、小さいころの妹について忘れているという場合も多々あるので、これは想像だからこそ描ける、理想としてオリジナルを超えることのできるという、表現の可能性なのかもしれません。








ちなみにアニメ版では上記の表現は全てカットされました

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