2014年3月12日水曜日

俺の妹がこんなに可愛いわけがない 兄妹恋愛は現代最後のロミジュリ

シェイクスピアの古典、ロミオとジュリエットは誰もが知る名作です。
共に名家の二人が、両家の争いにより引き裂かれる。
この不条理により引き裂かれる恋愛は定石であり、最も恋愛を盛り上げる演出法の一つと言っていいでしょう。

障害と社会の関連性

では、現代日本でロミオとジュリエットを再現しようとするとどうなるでしょう?
貴族という分化が戦後になくなり、金持ちは存在しても身分の高い人間という概念を持たない日本。
もちろん現実には家絡みでの政略結婚なども存在するとは思いますが、しかし一般人にとっては家のしがらみにより引き裂かれる二人、という状況は想像しづらいのではないでしょうか?

自由恋愛と資本主義はロミオとジュリエットという状況とは相性が悪いのです。
自由恋愛こそが至高であるという現代の恋愛観において、家の反対で恋愛を断念することは、一つの選択でしかない。
親と恋人が相反する場合、それを天秤にかけることは現代では悪とはされません。
(この辺りは儒教国では違うようで、韓流ドラマでは未だに両親の反対に苦悩するカップルの様子がリアリティを持つようです)
資本主義社会では、農民からの徴税により生きる貴族という身分はなく、それは逆説的に貴族としての義務、ノブレス・オブリージュというものも存在しないことを示します。

そこまで愛しあう二人ならば家を出て暮らせばいい。
世界旅行や移住も個人の努力で行える時代、自国で問題があるならば他国に行くという方法すらある。
修学旅行ですら海外に行く時代では、他国とは過去のような異世界ではない。
何故、二人はそんな多くの選択を選べないのか?
その状況説明をするだけで、より多くの不必要な設定を要することになります。


現代に残る最後の障害

では逆に現代においても絶対に認められず、周囲から引き裂かれる運命にある関係性とは何か。
それが近親相姦です。

現代では同性愛は広く認知されるようになってきました。
キリスト教圏の国々ですら、徐々に同性愛での結婚についても真剣に検討される時代です。
同性愛は個人や集団間での問題にはなっても、もはや社会的な禁忌足り得ない。

そんな時代においても近親相姦を許容する国はありません。
世界中のどこに言ったとしても、その関係性を公言して受け入れられることのない関係性。
つまり現代における不条理により妨害される二人の恋愛を描くためには、近親相姦をテーマにするしかないのです。

俺妹の作中にて麻奈実が「焦らないで、よく考えて、自分の気持ちを大切にしてあげなさい」と語る理由は、京介を心配し、尊重して言っているのは確かです。
しかし同時に、幸福というものを冷静に考え、理論的な足し算引き算で捉えれば、桐乃を選ぶ必然性がない。
これが過去、桐乃の想いを倫理という正しさにおいて完全に否定した彼女が、一見まるで桐乃をも含めた全ての選択肢を肯定するような台詞を語れた理由ではないかと思います。
ようするに冷静に考えれば選択肢のある中で妹を選択することはデメリットしかない
京介の幸せを第一義に捉えているために、結局は卒業まで自身の好意を感情として伝えられなかった彼女らしい問いかけ方だと思います。

そんな論理的な不合理を覆すのは御鏡と黒猫が暴いた二人の「剥き出しの感情論」であり、それが夏コミに皆で制作した同人誌のように、「赤字を黒字に変えるほどの何か」であると思います。


総論

物語の基本として、敵が強大であるほど、障害が大きいほど、それを克服するカタルシスは大きくなる。
だからこそ、世界という最大規模の存在から反対されるからこそ、近親相姦というテーマは恋愛を盛り上げる設定としての最適解と成りうるのです
もしこれが革新されるとしたら、SFのように宇宙に移民する、異星人と遭遇する、逆に文明が一旦崩壊するといった、人類全体の存在を問いなおす強制的な価値観のパラダイムシフトが必要ではないでしょうか。

人類が地球というマクロな視点を持つに至っても祝福されない関係は、正に現代に残された最後のロミオとジュリエットと言えるでしょう。

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