初期の記事が長すぎて読みづらいので、分割しての改訂版です。
最初に結論
この文を最後まで読んで頂ければ分かると思うのですが「今後も桐乃と恋愛関係のままでハッピーエンド」ってオチですよ、この話。
何故かレビューサイトを見てみた限りでは「二人は別れて普通の兄妹に戻りました」というものを前提の解釈や考察が多いようです。
確かに一度は別れているのですが、それは過程に過ぎません。
そもそもエピローグのメルルの指輪の存在にすら触れていないところもあるぐらいです。
あれだけ明示的に描かれながら、意味が無いと解釈する方が不自然でしょう。
何より「別れて普通の兄妹に戻る」という結論は、京介が最後の麻奈実との対話時に語った「この物語のラスボス、俺が立ち向かうべき敵」に対することすらせずに物語が終わってしまいます。
彼はこの時に「倫理とか、常識とか、世間体とか」に「立ち向かう」決意をしているわけです。
そもそも最後に唐突に桐乃が叫ぶ「帰ったら、人生相談」の意味。
そこから見えてくる結論は次の項を読んで頂ければ分かると思います。
エピローグにおけるメルルの指輪の重要性とツンデレの意味
この作品自体が、細かい描写に人物の意図を配置する構造なので、精読せずに一度だけ流し読みする人は見落とすかもしれません。
解釈のための前提情報
エピローグの行動で、重要な項目は- 桐乃が婚約指輪を返しているが、代わりにメルルのおもちゃの指輪を要求する
- 京介はおもちゃの指輪を送った後にキスをする
そして同時にクリスマスの京介による
ところで物語の語り部ってのは、読者よりもちょっとだけ察しが悪いくらいが良いさじ加減なんだってよ。クソ喰らえだね。悪いけど、俺、それはもうやめたから。という言葉です。
語り部でありながら、今後は読者よりも先んじて思考する「スーパー京介」になるとここで宣言している。
これは宣言の前にある「俺が妹に押しつけられてきたエロゲーの中にはなかった。それってなんでだろうな?分かるかい?俺は分かったよ。」に対応している。
彼はここの時点、桐乃から期間限定という話を提示される前にその真意に気がついて、読者に明示せずに独自で行動することにしたのです。
つまり彼は、これ以後の行動で、地の文では説明しない意図を隠匿している。
そうでなければスーパー京介になるという宣言は必要ないのです。
エピローグでの京介の真意を探るためには、地の文だけに頼らずに、行動から彼の思惑を類推する必要があるのです。
アニメではカットされてしまっている、この二つの流れが、京介の行動の意図を読み解くために必要になっています。
行動意図の解説
桐乃はエピローグで「京介から送られた指輪」という存在を、婚約指輪にした高価な指輪から、兄妹の贈り物と表現できる安価なオタクグッズへ変化させています。桐乃は公に認められる結婚の為の婚約指輪は返していますが、それでも指輪という男女の契約に使われるものを、京介への秘められた恋の象徴であった妹萌えというオタク趣味のものとして持ち続けようとしています。
つまり桐乃の気持ちは変わっていない、という表現です。
でなければ唐突にエピローグで指輪をねだるシーンが挿入されるのか説明がつきません。
キャラ物のおもちゃの指輪という子供対象のアイテムを、秋葉原という立地で店頭に置いて売っている店があるのはそもそも不自然なんですよ。
逆に言えば、不自然を押してでも指輪を送るという描写が必要だったということになります。
そして、その行動に対する京介は指輪を送った後にキスをする、というものです。
指輪を渡してキスをするという行動は、つまり京介は結婚式の様式を再現しているのです。
つまり指輪をねだる桐乃の「兄妹なんだから別にいいでしょ」という言葉は、
「兄妹という普通の関係に戻ったのだから贈り物の指輪を持っていても問題がないでしょ」という意味です。
その後にキスをした後の京介の「兄妹なんだから別にいいだろ?」という言葉は、
「恋人を公言する期間は終わったけれど兄妹でキスをする関係でもいいだろ」という意味です。
それを受けた桐乃の「エロゲーじゃないんだっつーの!」というのは、
「エロゲーのようにその関係が簡単には上手くいくわけではない」
だから「帰ったら、人生相談だかんね!」
「帰ったら二人で今後のことを相談しよう」という意味になります。
この桐乃の台詞の変換は、一見すると強引な解釈にも見えますが、これは12巻の冒頭で京介がクリスマスに誘うときの会話で提示されています。
「え? おまえの『はぁ? ばっかじゃないの?』って、『いいよ。ちゅっ?』って意味なんじゃないの?」
つまり……さっきの『ばっかじゃないの?』にはゲームとは違う桐乃さまならではの意味が込められているので、ちゃんと察して対応しなさいよ、ってことか。
というようなツンデレキャラりんこりんをネタにした会話で描かれる「桐乃の言動は深読みしてその意図を察しろ」という部分です。
物語の冒頭というのは読者にとって一番最初に目に入るシーンです。
この会話が配置された意図は桐乃の言葉には裏の意味があるので察してくださいね!という注釈となっているわけです。
クリスマスに京介がしなければ、自分から告白しようと思っていた桐乃が、本来ならば意図通りのはずの誘いに「はぁ? ばっかじゃないの? 死ねば?」と返答する。
これは単純なツンデレではなく、冒頭と結末という対比する箇所に配置することで、その演出が関連しているということを示す意味があるというわけです。
このように地の文で全てを語らないスーパー京介と桐乃の言葉の裏という二つの明示されていない情報が存在し、それを踏まえて二人の行動の真意を読者が解釈しないといけないのです。
なぜ桐乃は「期間限定」と言い出したのか?告白後の二人の意識のすれ違い
エピローグを一読しただけだと分かりづらい内容としているのが、最後まで桐乃と京介に認識の違いが発生しているということです。
これが分かっていないと、エピローグの意味が全く変わってしまいます。
何故、「期間限定」の恋人という話が出てきたのかも、ここに関わってきます。
麻奈実との対決の場面での行動の違いが顕著でしょう。
桐乃が二人の関係は期間限定であると告げようとし、それを京介が止める。
それ告げれば、最後の麻奈実からの捨て身の告白まで行き着くことなく、終わった後にも今までどおりの関係を維持でき、いずれは恋人になる可能性が残る。
期間を区切ること、麻奈実との関係を破綻させないこと、それにより桐乃は自分との関係が終わった後の逃げ道を京介に残そうとしたのです。
しかし京介は告白以後、関係の終わりを前提に行動してはいないんです。
なにしろ恋人関係の期間限定の話は「桐乃は俺に耳にそっと口を寄せ――こっそりと秘密のお願いを囁いた。」というように提案するのは桐乃です。
そして結婚式の後に「はいっ、終わりっ!」とその終わりを言い出すのも桐乃なんです。
京介は桐乃の為に彼女の提案通りに行動しているだけであり、自身からそうしようとは一言も言っていないんです。
桐乃の考え方を証明する記述としては、麻奈実との対決が終わった後の
「(前略)あんたがあたしのワガママのために、どれだけバカなことしちゃったのか!自分で分かってる!?」
「(前略)終わっちゃったら……あんたには、何も残らないのに!それにーー!」という台詞が象徴するように、京介からのあれだけ告白されてもこの関係を「自分のワガママ」で「自分にしか残らない」ものと思っている。
つまり自身の想いにつきあわせて、無謀な道に京介をつきあわせてしまっている状態と思っているんですね。
桐乃の京介への恋をゲームに仮託して語るのが、11巻ソーシャルゲームの会話のシーンで、
「分かってんのよ――この娘が電子データで、シスゲーのサービスが終われば蜃気楼のごとく消えていく運命だってね。鍛え上げたパラメーターは無意味になって、イラストを見ることもできなくなって、あたしの手元には何も残らない」
それでもなお、残るものがあるのだと。桐乃は目をつむり、優しい声で言葉を紡ぐ。
「楽しかったゲームの思い出は、サービスが終わっても消えたりしないし、この娘の顔はあたしの心に焼き付いている。――絶対忘れたりしない」
シスゲーのサービスが恋、娘の顔は京介との思い出、と読みかえれば、この独白は端的に桐乃の見据えている京介への恋の結末を表していると思います。
それは11巻巻末で黒猫ととあやせと語るシーンでの
つまり、彼女にとってはどう転んだとしても「ケリを付け」なければならないことであり、この恋をどこかで終わらせなければならないという認識をもっている。
だから今まで何度も「ケリを付け」るために、海外に陸上選手として留学し、偽の恋人を作り、黒猫との恋を応援し、また卒業後にモデルとして海外に行こうとする。
この作品において、一つでも京介の行動が失敗していれば、彼女はその恋を諦めていたのです。
そして想いが通じあった段階においてもなお、恋人を続けることは無理であり、その記憶は京介にとって過去になるとしても、自分の中には大切なものとして残り続ける。
そういった認識なのです。
その桐乃の意図に対して京介が気がつくのが、
桐乃が京介に押しつけたもの、京介に共感して欲しかったこと。
つまりは彼女が京介に押し付けてでも要求しようとしたのは自分の好意を示し、それを肯定してもらうまでなんですね。
これは一巻でオタク趣味を「おまえがどんな趣味持ってようが。俺は絶対バカにしたりしねえよ」と言われたように、自分の想いを否定しないで受け入れて欲しかったということです。
京介が麻奈実に対した時に独白するように
その先を続けていくことは無理だと最初から諦めている。
決してキレイ事だけでは済まないと認識しているからこそ、彼に対しては求められない。
それでも「好きでいることだけは、やめない」
それが桐乃の持っている自分の恋の終着点です。
こういう結論を抱くように、桐乃という人物はとても理性的な、そしてごく普通の一般人として精神構造をしています。
理想の「お兄ちゃん」を目指して努力することで成長した彼女は、一見すると過去の京介のように自分を特別だと思い、どんな物事も諦めずに克服しようとする精神構造を持っているようで、根本的なところは違うのです。
それは初めての夏コミであやせに詰め寄られた時のように、突発的な自体には弱いということが証明しています。
つまり、落ち着いて努力してきた物事に対してならば困難にも立ち向かえるのですが、その基板となっているのは天才ではない、ごく普通の中学生の少女のものです。
黒猫に振られた京介を慰めて温泉街まで追いかける時も、まず最初に「自分が同じ状況だったらあんたはどうしてくれた?」と彼に問いかける。
「桐乃さんカッケー! 惚れてしまいそうだ!」と語られた、黒猫を連れ戻した時の一連の行動は5巻で桐乃を連れ戻した京介を手本としています。
そして9巻の日向視点で桐乃が黒猫に対して語る「こいつがいなかったら、あたしの人生もっとつまんなかったし」という台詞も、7巻で京介が語る「おまえのおかげで――俺の人生には、楽しいことが増えたからよ」と相似形になっている。
このように桐乃の行動は、過去と現在の京介の影響も大きく受けている。
そして彼女の根源的な行動規範とは9巻における
この「あの人」とは理想化された過去の京介を指していますが、つまりこの思考方法こそが彼女が自身の状態を認識するときの基準となっている。
常に彼であるならば、どういう決断をしただろうかと意識して行動しているということです。
全てにおける規範となる理想とは、もはやキリスト教における内的な神のようなものですね。
だから京介や「お兄ちゃん」というお手本がなく、努力の方法も分からない、幼少期に抱いた自分の原点となる恋心に対しては、彼のように不屈の精神で挑むことができない。
なぜならそれに対する答えを、過去において京介は示してないからです。
どれだけ好きでも兄妹での恋愛が周囲に祝福されないことは分かっていて、その終わりを最初から受け入れているんです。
そして彼女も京介に対して、その好悪の入り交じる感情を処理できず、結果として理不尽な要求を暴力やワガママとして押し付けるという形で行動するからです。
つまり不器用な方法で甘えている状態ですね。
それは9巻での桐乃視点でも「あたしっていつもそうだ。大事なことほど、なかなか相手に伝えられない。」というようにも語られます。
5巻にて京介は赤城兄妹の電話のやりとりを見て
実際は、桐乃もまた自分の子供っぽい部分を京介へさらけ出している訳です。
それは10巻になって、あやせが学校の桐乃を語る時に、ようやく京介も気が付きます。
それは、あやせを本心で親友と呼べるように、外面を作って偽物の関係性を維持しているという意味ではなく、他者に対して、この理性をどこまで緩めるかというコントロールの違いなんです。
これは、どちらも桐乃という人間の本質であり、それは大人と子供の友人関係の距離感のように、どちらが正解でどちらが嘘というものではありません。
しかし、大人として理性的であらねばならない学校での友人関係では見せられない面、つまり子供の部分を残し、他人には見せるのが憚られる本心を京介には見せている訳です。
そして、クリスマスの京介の告白時、「あんたなんか大っキライ!」として拒否しようと行動する姿勢が、桐乃にとっての理性での答えです。
それを吐き出した上で、「結婚してくれ」という言葉に「はい」と涙ながらに応じるのは、理性が隠そうとしている桐乃の感情なのです。
その後に
だからあれだけ切実に望んだ関係に期間限定を設けようと提示する。
期間限定という提示は、桐乃の理性によって感情で望んでいた恋を終わらせなければならないと葛藤した結果です。
告白後、京介が「俺たち二人の、人生相談だ」と兄妹での恋愛の現実的な問題と向きあおうと切り出した時に、桐乃が「その前にエロゲーをクリアしたい」と明らかに話題を避けるように言い出すのは、復活した理性による現実への恐れから、その話を語ることができなかったからです。
その後のシーンですが、ゲームを中断してしまう時の京介の
そして、前記したように桐乃の精神は努力の方法がない困難に対しては弱いのです。
さらに桐乃は京介は自分につきあってくれているだけで、自分と同じように世間に認められない愛を京介に求めてはいけないと思っている。
桐乃は自分だけの感情では厳しすぎる現実の問題とは向き合う勇気が持てないでいるのです。
それは11巻巻末で黒猫ととあやせと語るシーンでの
「……さっきは『勝手にすれば』なんて言ったけどさ。卒業まで……待ってくれないかな」(中略)「卒業までに、色んなことにケリを付けていくつもり。あたしだって、いまの状況が普通じゃないって、よくないって分かってる。だから――そういうのは、あと数ヶ月だけ、待って」にも現れていると思います。
つまり、彼女にとってはどう転んだとしても「ケリを付け」なければならないことであり、この恋をどこかで終わらせなければならないという認識をもっている。
だから今まで何度も「ケリを付け」るために、海外に陸上選手として留学し、偽の恋人を作り、黒猫との恋を応援し、また卒業後にモデルとして海外に行こうとする。
この作品において、一つでも京介の行動が失敗していれば、彼女はその恋を諦めていたのです。
そして想いが通じあった段階においてもなお、恋人を続けることは無理であり、その記憶は京介にとって過去になるとしても、自分の中には大切なものとして残り続ける。
そういった認識なのです。
その桐乃の意図に対して京介が気がつくのが、
(前略)厳しい兄妹の現実を描くエロゲーも、たくさんあるのだろう。だけど俺がプレイした妹ゲームの中にはなかった。俺が妹に押し付けられてきたエロゲーの中にはなかった。それってなんでだろうな? 分かるかい?俺は分かったよ。というスーパー京介宣言のシーンです。
桐乃が京介に押しつけたもの、京介に共感して欲しかったこと。
つまりは彼女が京介に押し付けてでも要求しようとしたのは自分の好意を示し、それを肯定してもらうまでなんですね。
これは一巻でオタク趣味を「おまえがどんな趣味持ってようが。俺は絶対バカにしたりしねえよ」と言われたように、自分の想いを否定しないで受け入れて欲しかったということです。
京介が麻奈実に対した時に独白するように
――全部捨てられても。好きでいることだけは、やめない。桐乃はあのとき、そう決断した。ということは、つまりいつかは全部捨てなければならなくなると、既に思っているということです。
その先を続けていくことは無理だと最初から諦めている。
決してキレイ事だけでは済まないと認識しているからこそ、彼に対しては求められない。
それでも「好きでいることだけは、やめない」
それが桐乃の持っている自分の恋の終着点です。
本当は一般人な高坂桐乃
こういう結論を抱くように、桐乃という人物はとても理性的な、そしてごく普通の一般人として精神構造をしています。
理想の「お兄ちゃん」を目指して努力することで成長した彼女は、一見すると過去の京介のように自分を特別だと思い、どんな物事も諦めずに克服しようとする精神構造を持っているようで、根本的なところは違うのです。
それは初めての夏コミであやせに詰め寄られた時のように、突発的な自体には弱いということが証明しています。
つまり、落ち着いて努力してきた物事に対してならば困難にも立ち向かえるのですが、その基板となっているのは天才ではない、ごく普通の中学生の少女のものです。
黒猫に振られた京介を慰めて温泉街まで追いかける時も、まず最初に「自分が同じ状況だったらあんたはどうしてくれた?」と彼に問いかける。
「桐乃さんカッケー! 惚れてしまいそうだ!」と語られた、黒猫を連れ戻した時の一連の行動は5巻で桐乃を連れ戻した京介を手本としています。
そして9巻の日向視点で桐乃が黒猫に対して語る「こいつがいなかったら、あたしの人生もっとつまんなかったし」という台詞も、7巻で京介が語る「おまえのおかげで――俺の人生には、楽しいことが増えたからよ」と相似形になっている。
このように桐乃の行動は、過去と現在の京介の影響も大きく受けている。
そして彼女の根源的な行動規範とは9巻における
あたしは今回、ちっともいい妹じゃなかったし、いい友だちじゃなかった。あの人の足元にも及ばなかった。……あ、やば。この思考の流れはマズイ――でしょう。
この「あの人」とは理想化された過去の京介を指していますが、つまりこの思考方法こそが彼女が自身の状態を認識するときの基準となっている。
常に彼であるならば、どういう決断をしただろうかと意識して行動しているということです。
全てにおける規範となる理想とは、もはやキリスト教における内的な神のようなものですね。
だから京介や「お兄ちゃん」というお手本がなく、努力の方法も分からない、幼少期に抱いた自分の原点となる恋心に対しては、彼のように不屈の精神で挑むことができない。
なぜならそれに対する答えを、過去において京介は示してないからです。
どれだけ好きでも兄妹での恋愛が周囲に祝福されないことは分かっていて、その終わりを最初から受け入れているんです。
京介視点で見るしかない桐乃
これが京介の視点からのみでは少し理解しづらいのは、当初の彼が敵わない生まれついての天才として桐乃を見ているせいです。そして彼女も京介に対して、その好悪の入り交じる感情を処理できず、結果として理不尽な要求を暴力やワガママとして押し付けるという形で行動するからです。
つまり不器用な方法で甘えている状態ですね。
それは9巻での桐乃視点でも「あたしっていつもそうだ。大事なことほど、なかなか相手に伝えられない。」というようにも語られます。
5巻にて京介は赤城兄妹の電話のやりとりを見て
瀬菜は、しゃくり上げながら、兄に事情を説明しているようだ。その声は、相手を完全に信頼しきっていて――――何故か、ずきりと心が痛んだ。こいつにとって兄貴は、しっかり者の仮面を脱ぎ捨てて、子供っぽい自分をさらけ出して甘えることのできる相手……なんだろうよ。と感じていますが、これは彼の主観でのことしかない。
実際は、桐乃もまた自分の子供っぽい部分を京介へさらけ出している訳です。
それは10巻になって、あやせが学校の桐乃を語る時に、ようやく京介も気が付きます。
(前略)友達が家に遊びに来たとき……桐乃のやつは確かに猫を被ってやがった。猫を被って気持ち悪いブリッコしてやがるとしか――俺には見えなかった。対人関係において、当初あやせや可奈子に対していた外側向けの対応と、感情のままに対応してしまう京介と、彼から作ってくれた関係である黒猫、沙織の対応の違い。
けど……そうじゃないとしたら? 別に無理してブリッコしているわけじゃなく、あの桐乃も、確かに桐乃の一面なのだとしたら。
それは、あやせを本心で親友と呼べるように、外面を作って偽物の関係性を維持しているという意味ではなく、他者に対して、この理性をどこまで緩めるかというコントロールの違いなんです。
これは、どちらも桐乃という人間の本質であり、それは大人と子供の友人関係の距離感のように、どちらが正解でどちらが嘘というものではありません。
しかし、大人として理性的であらねばならない学校での友人関係では見せられない面、つまり子供の部分を残し、他人には見せるのが憚られる本心を京介には見せている訳です。
桐乃の中の理性と感情の対立
そして、クリスマスの京介の告白時、「あんたなんか大っキライ!」として拒否しようと行動する姿勢が、桐乃にとっての理性での答えです。
それを吐き出した上で、「結婚してくれ」という言葉に「はい」と涙ながらに応じるのは、理性が隠そうとしている桐乃の感情なのです。
その後に
一次はあんなに盛り上がっていたのに、寒い中歩いて、途中でお茶飲んだりして――一時間が経ってさ。この正気に戻ったということは、告白の衝撃によって緩んだ桐乃の理性が、時間を置き冷静になることで強くなっていることを示しています。
二人共正気に戻ってしまった。
だからあれだけ切実に望んだ関係に期間限定を設けようと提示する。
期間限定という提示は、桐乃の理性によって感情で望んでいた恋を終わらせなければならないと葛藤した結果です。
告白後、京介が「俺たち二人の、人生相談だ」と兄妹での恋愛の現実的な問題と向きあおうと切り出した時に、桐乃が「その前にエロゲーをクリアしたい」と明らかに話題を避けるように言い出すのは、復活した理性による現実への恐れから、その話を語ることができなかったからです。
その後のシーンですが、ゲームを中断してしまう時の京介の
たぶん数秒前の俺も、似たような心境だったのだろう。うまく言葉にはできないが――怖いってのが一番近いか。ようやく気持ちが通じ合って嬉しいはずなのに、なのになのになのに――ってな。という部分にあるように、期間限定の提案とは二人の気持ちだけではどうしようもない現実と、その恐怖からの逃避行動だったのではないでしょうか。
そして、前記したように桐乃の精神は努力の方法がない困難に対しては弱いのです。
さらに桐乃は京介は自分につきあってくれているだけで、自分と同じように世間に認められない愛を京介に求めてはいけないと思っている。
桐乃は自分だけの感情では厳しすぎる現実の問題とは向き合う勇気が持てないでいるのです。
桐乃とは違う京介の決意
京介の心情としては麻奈実対決後に語られています。
妹のために、じゃなくて、自分自身のために、だけどな。
おまえは最初から、女子中学生のくせにエロゲーやってる気持ち悪くて有り得なくて世間様に顔向けできないやつだったじゃねぇか。後者の方はエロゲーというものに暗喩させた兄妹への恋愛感情のことですね。
それが俺にも伝染したってだけのこと。
過去の「お兄ちゃん」と現在の「兄貴」という京介への認識の変化があるのですが、物語の最初から桐乃はエロゲーにその思いを仮託せざるをえないぐらい京介という人間に愛情を抱いている。
それに対して、その思いの強さは自身も同じだと、ここで京介は語っています。
何よりも京介は
「おう、近親相姦上等だ! 実妹エンド、やってやるぜ!」
と麻奈実に言っている。
桐乃へ言うことや、一人称の地の文で言うのであれば嘘の可能性がありますが、麻奈実に言っているということは嘘ではない。
京介の嘘が麻奈実には通じないことが、作中で何度も明言されています。
この言葉に対して、殴るというリアクションを取ることが、彼が本心から語っていることを示していると言えるでしょう。
だから、京介はエピローグにておもちゃの指輪とキスで結婚式を再現することで、期間限定の恋愛が終わった後にも変わっていない自身の気持ちを伝えた。
その意思を受け取ったからこそ、後に続くのが「帰ったら、人生相談だかんね!」という言葉に繋がるのです。
その内容は今度こそ本当に「俺たち二人の、人生相談」をするということでしょう。
ここでようやく桐乃は、相手から告白されたという状況ですら向き合えずに逃げてしまった、二人の今後について考えることができるようになる。
京介が行動によって示すことで、桐乃は諦めきれない自身の想いを、厳しい現実と折り合いをつけて存続させる勇気を持てた。
自分一人の一方的な感情ではないと理解できたからこそ、二人の人生相談ができるようになるのです。
今までの陸上やモデルといった結果の元となる程に強い京介への想いを、期間限定で殺さなければならないと桐乃が思った時に、京介が自分も同じように諦めたくないと答えを返す。
二人の恋愛感情を周囲への秘密としてこれからも抱き続ける。
それがこの文章の末尾のリンク先にて、伏見つかさ先生がインタビューで語っている
・「最初の人生相談と同じように、兄妹は、二人だけの秘密を抱えて終わる」
ということなのです。
京介の想いの強さが桐乃に全て伝わったのは、今までのように大声を張り上げたクリスマスの告白ではなく、エピローグのキスの瞬間なのです。
桐乃以外には理解できていた京介の本心
桐乃以外のヒロイン達は告白する時に京介の決意に気がついていたと思われます。
そしてそのことが、京介が諦めていないことの証明にもなります。
本項では麻奈実と黒猫について考察します。
麻奈実の場合
そもそも「麻奈実は俺のことを俺よりも分かっている」と語られる程にその本心を読み取った麻奈実が、京介が期間限定で桐乃との恋を諦めていたら、気がつかない筈がないのではないでしょうか。京介が終わらせると決めているならば、麻奈実はあえて最後の日に自分が厳しい現実を彼らに語るとは思えません。
卒業式の後に、彼女が再三と提案してきたように「普通の兄妹にもどる」のならば桐乃と京介に関係の困難を突きつけることなく見守ってあげるという道をとったと思います。
翌日に本当に全て終わるのならそんな必要はないのですから。
麻奈実は本当に京介を大切にしています。
同時に桐乃にも、複雑な思いを抱えつつも決して彼女が不幸になれば良いとは思っていない。
むしろ二人が幸せになれるためにと、善意から普通の兄妹にもどることを望んでいる。
彼らの友人には誰もできなかった、兄妹での恋愛の先にある厳しさを語る
「誰もいわなかったみたいだから、わたしがはっきり言ってあげる」に続く一連の言葉というのは、自身が憎まれ役となっても、京介の選択の意味を再確認させるためのものです。
この物語を通読すれば、麻奈実は京介を奪われた嫉妬だけで、恨み事として二人の関係を否定する内容を語るような人間ではないと分かるはずです。
彼女は自分の想いよりも京介の幸福を強く望んでいる。
そうでなければ黒猫とつきあった京介を祝福するはずがないでしょう。
俺の幼馴染みはいつだって、自分のことは後回しにして、人の心配ばかりして……自ら進んで貧乏くじばかりを引いていく。(中略)麻奈実は俺のことを俺よりも分かっている。「人の心配」というのは、つまりは「京介の心配」のことです。
この一文だけでも、彼女の行動原理が分かるのではないでしょうか。
綺麗ごとだけではすまないからこそ、それを告げるという一番割にあわない役を、あえて引き受けるという行為は、麻奈実から京介にしてあげられる最後の行動だったのです。
そしてこれは、この言葉を告げる必要性がある決断を京介は既にしているということを示しているのです。
もし麻奈実が知らなかったとしたら
逆にも考えてみましょう。つまり、もしも京介が本当に期間限定で恋人関係を終わらせようと思っていて、それを気付かないままに麻奈実が告白したと仮定すると様相が変わります。
彼女が京介の意図に気が付かずに本気で二人を制止し、そして告白をしている状況で、京介は内心で桐乃との関係を終わらせると決めていても黙っている。
その行動は「麻奈実が困っていたら助けるためには命をかけられる」と彼女のことも心底大切に思っていた京介としては異質です。
この場合は、いくら桐乃への気持ちの証明のためとはいえ、期間限定を口にしないのは、言ってしまえば自己満足です。
そのためだけに麻奈実に勘違いさせたまま告白までさせ、それの状況を京介が静観するというのはおかしいのではないでしょうか。
なにしろ桐乃が告げようとしたのを、あえて彼女を止めてまで京介は麻奈実に言わないようにしています。
それはつまり本当は期間限定では終わらせないから。
それを語ることで、この場をお茶に濁す行為は、麻奈実に対して不誠実だからです。
つまり京介は諦めておらず、それを麻奈実は知っていたと仮定した方が、彼と彼女の行動に筋が通るのです。
黒猫の場合
「きっと来世でも、好きになるわ」と語っており、あやせには妹が一番でも構わないとまで語った黒猫。そんな黒猫が京介の告白で『運命の記述』を破らなければならなかったのも、二人の関係が終わらないことを理解していたからでしょう。
そうでなければ、あのまま彼への想いを持ち続けていればよかったのです。
二人が別れて、普通の兄妹に戻るならば、その後に桐乃を一番大切にしていても、京介が黒猫と復縁する未来は十分にありえることで、それも良いと彼女は肯定しているのですから。
一番でなくてもいい、と語った彼女がノートを破らざるをえなかった事実。
それによって彼女の予想している未来は示されていると思います。
そして京介の桐乃への想い告白された後に彼女が描いた『新約・運命の記述』は
『今の俺たち』を、そのまま描いたような作品だったよ。とあります。
この絵に関しての詳しい描写はありません。
しかし、この時の「今」として語られる状況とは京介と桐乃が恋人であり、その横に黒猫と沙織がいるという場面です。
これは「闇猫」というキャラを演じることで自身の本当の傷心を見せないようにしたように、不器用な彼女なりの二人への祝福の表現でしょう。
このことからも、黒猫は二人が恋人関係を終わらせることはないと思っているという証明になるでしょう。
もちろん、黒猫はこの時点では桐乃が期間限定の恋人という提案をしていると知りません。
しかし本当に期間限定で終わるならば、それは彼女が『新約・運命の記述』を描いたことを否定する行為です。
それを京介が何も思わずに受け入れるのは、やはり彼という人物にそぐわないでしょう。
彼女たちの結論
以上の事実からも彼女たちは京介が期間限定で恋人を終えることがないのを見抜いていたと結論していいのではないでしょうか?もちろん、期間限定の恋人という関係性に騙されたまま行動したという可能性も否定はできません。
しかし麻奈実が騙されたままに行動したという解釈は彼女のこれまでの京介の真意を見抜いてきた行動から逸脱しているのではないか、そして幼馴染みの行動を、その機会を自分で潰してでも止めようとしない京介もありえないのではないかと思います。
やはり彼女は全て理解した上で、あのような行動を取らねばならなかった理由があったとする方が自然でしょう。
総論
京介の出した答えは結局はこの一文に集約される訳です。
「桐乃、この世にはな、仕方ないで済ませていいことなんか、本当は一個だってねえんだよ」麻奈実が語るように未来に困難が待ち受けていようとも、困難だから仕方ない諦めようという選択を彼が選ぶとは思えないでしょう?
「恋人や結婚という公の関係になることはできないけれど、二人の秘密として関係性を続けていく」
というこの結論は、近親相姦という社会一般に認められない関係の落とし所として、非常に現実的で美しいと感じました。
公言すれば周囲の人間に否定され迷惑をかけてしまう、しかしそれでも好きなものを諦めない。
この相反する問題への答えの出し方が、その一巻の桐乃のオタク趣味への結論から始まり、全ての物事について常に京介の選択となっている訳です。
3年前までの京介であればあるいはエロゲー主人公のように立ち向かったのかもしれません。
しかし、平穏と現実の象徴である麻奈実と、困難と理想の象徴である桐乃という二人の影響を経て成長した京介の答えとして、可能な限り現実と折り合いをつけても理想を捨てないという姿勢は、これ以上のものはないと思います。
補足・アニメ版最終話の多すぎる描写不足問題
アニメ最終話は原作の中でおもちゃの指輪を送るシーンがカットされているので、ラストのキスシーンが唐突過ぎるんですよね。
原作にあるクリスマス後のホテルでの二人の朝チュン描写もカット。
まぁ、文章と違って映像にすると露骨過ぎるので、これは仕方ないかもしれません。
しかし黒猫の描いた『新約・運命の記述』についてカットするぐらいなら、
桐乃と黒猫の謎のイメージ戦闘描写を削除するべきだったでしょう。
桐乃が麻奈実に「そ、それは――!」と期間限定の話を告げようとするシーンも、「桐乃が『約束の台詞』を口にしようとしたが、俺はそれを片手で止める」という桐乃の言おうとした内容を演出していないので、単に麻奈実の追求に言い淀んだようにしか見えません。
これは京介の決意を表す大事な行動なのに、何故?という感じです。
過去に渡されたエロゲーから桐乃の意図に気がつくスーパー京介について、代替となる演出もなしに削ってしまっているのは、もはや京介の最後のキスの真意を推測する方法が失われています。
原作にあるクリスマス後のホテルでの二人の朝チュン描写もカット。
まぁ、文章と違って映像にすると露骨過ぎるので、これは仕方ないかもしれません。
しかし黒猫の描いた『新約・運命の記述』についてカットするぐらいなら、
桐乃と黒猫の謎のイメージ戦闘描写を削除するべきだったでしょう。
桐乃が麻奈実に「そ、それは――!」と期間限定の話を告げようとするシーンも、「桐乃が『約束の台詞』を口にしようとしたが、俺はそれを片手で止める」という桐乃の言おうとした内容を演出していないので、単に麻奈実の追求に言い淀んだようにしか見えません。
これは京介の決意を表す大事な行動なのに、何故?という感じです。
過去に渡されたエロゲーから桐乃の意図に気がつくスーパー京介について、代替となる演出もなしに削ってしまっているのは、もはや京介の最後のキスの真意を推測する方法が失われています。
キスの場所の重要性
そして、小説版のエピローグでは
ここは映像化する場合でも、顔は写さずに身体だけのカットとその後のリアクションで見せる等の方が原作の雰囲気を壊さなかったでしょう。
――不意討ちでキスをしてやった。というように箇所を名言されず、結婚式のイラストの後ということもあり口にしているように想像できるキスを、あえて頬にしている。
ここは映像化する場合でも、顔は写さずに身体だけのカットとその後のリアクションで見せる等の方が原作の雰囲気を壊さなかったでしょう。
そのせいで単体で見ると最後のキスが兄妹のイタズラと取ることも出来るようになっているんですよね。
(原作で、どんなに溺愛しても恋愛関係にはならないと語られる赤城兄妹も、頬にキスはしてましたから)
もしそう解釈して見てしまうと、期間限定で付き合った後は本当に兄妹関係に戻って終わり、という誰も彼もが幸せになれない悲恋の物語となってしまう。
逆に言うと、原作でも表層的な事象で解釈し、期間限定を本当にそのままの意味で受け取れば、そういうビターエンド的な読み方もできるようになっています。
これは兄妹の恋愛という世間ではタブーとされる関係を描く上で、その表現を明示させないように描いた結果として、このような暗喩的なものとなったのではないかと思います。
そして更に原作で抽象的に描いたシーンをアニメ化する際に削った結果、まるで悲恋のようにも受け取れる表現となってしまったのではないでしょうか。
つまり第一期の12話での結末分岐のように、アニメはGoodEndであり、原作小説の結末がTrueEndという住み分けを、同じ要素を描きながら部分的カットするモンタージュ手法によって行っている可能性です。
例えば仮に、同じ内容でもエピローグ部分に指輪を贈るシーンを入れ、その後のキスを口にしていた場合はどうでしょうか?
その映像から京介と桐乃が普通の兄妹に戻ったと読み取る人は少数派になるでしょう。
そう考えると媒体の違いによる制約から結末の意味合いを変えるために、原作では読者に委ねていたエピローグのキスの場所を頬として描いていると邪推してもいいかもしれないと思います。
ただ上記したように、黒猫や麻奈実の思いすら無駄にするこの行動は、京介の選択としてありえないと思うのです。
黒猫がディスティーレコードを破らず、麻奈実があんなにも切実に告白しなかったならば、この読み方も可能だとは思うのですが。
逆に言うと、原作でも表層的な事象で解釈し、期間限定を本当にそのままの意味で受け取れば、そういうビターエンド的な読み方もできるようになっています。
これは兄妹の恋愛という世間ではタブーとされる関係を描く上で、その表現を明示させないように描いた結果として、このような暗喩的なものとなったのではないかと思います。
そして更に原作で抽象的に描いたシーンをアニメ化する際に削った結果、まるで悲恋のようにも受け取れる表現となってしまったのではないでしょうか。
実は原作との相違は意図的変更?
深読みし過ぎかもしれませんが、ここまで重要な表現をカットしていることを考えると、意図的に原作と結末を変更したのかもしれないと思えてしまいます。つまり第一期の12話での結末分岐のように、アニメはGoodEndであり、原作小説の結末がTrueEndという住み分けを、同じ要素を描きながら部分的カットするモンタージュ手法によって行っている可能性です。
例えば仮に、同じ内容でもエピローグ部分に指輪を贈るシーンを入れ、その後のキスを口にしていた場合はどうでしょうか?
その映像から京介と桐乃が普通の兄妹に戻ったと読み取る人は少数派になるでしょう。
そう考えると媒体の違いによる制約から結末の意味合いを変えるために、原作では読者に委ねていたエピローグのキスの場所を頬として描いていると邪推してもいいかもしれないと思います。
ただ上記したように、黒猫や麻奈実の思いすら無駄にするこの行動は、京介の選択としてありえないと思うのです。
黒猫がディスティーレコードを破らず、麻奈実があんなにも切実に告白しなかったならば、この読み方も可能だとは思うのですが。
もしかしたらアニメでも「帰ったら人生相談」という台詞の意味をしっかり考えれば、あるいは原作と同じ結論に到達できるのかもしれませんが、さすがにあの情報量では難しいと思います。
読解力のない私はアニメ一周目では「最後にキスシーンはあるが別れると言ってるし、結局どっちなんだ?」と腑に落ちなかったんです。
まぁ、そのおかげで原作を読む機会を得られたとも言えるのですけれど。
これでは二人は別れて終了という認識が多くなるのも仕方がない。
それが発売後の反応で分かったから、下のインタビューで蛇足と知りつつも
参考
俺の妹がこんなに可愛いわけがない最終巻 伏見つかさ先生へ「ラストについて」「次回作」などインタビュー!
http://blog.livedoor.jp/geek/archives/51398941.html
読解力のない私はアニメ一周目では「最後にキスシーンはあるが別れると言ってるし、結局どっちなんだ?」と腑に落ちなかったんです。
まぁ、そのおかげで原作を読む機会を得られたとも言えるのですけれど。
最後に一言
伏見つかさ先生の意図が「兄妹は、二人だけの秘密を抱えて終わる」とはいえ、このように解釈を加えないと理解できないようにして、読者にまで二人の関係を秘密にして終わることはなかったんじゃないかと思いますwこれでは二人は別れて終了という認識が多くなるのも仕方がない。
それが発売後の反応で分かったから、下のインタビューで蛇足と知りつつも
・「完全なる桐乃エンド」 ・「最初の人生相談と同じように、兄妹は、二人だけの秘密を抱えて終わる」と「完全なる」という修飾語までつけて補足のコメントをしたのだと思います。
参考
俺の妹がこんなに可愛いわけがない最終巻 伏見つかさ先生へ「ラストについて」「次回作」などインタビュー!
http://blog.livedoor.jp/geek/archives/51398941.html
これは凄い!
返信削除俺妹ファンは読むべき記事
長年のモヤモヤが晴れました。
返信削除伏見先生のインタビューも知らなかったので完全に別れたものだと思っていましたが二人の物語はハッピーエンドを迎えていたのですね。
この考察でマナミの行動にも合点がいきましたし間違いなく合ってると思います。
この記事に出会えて良かった、本当にありがとうございます。