2014年3月15日土曜日

俺の妹がこんなに可愛いわけがない 互いを恋愛対象として認めたのはいつか? -桐乃編-

当初の桐乃の心情


桐乃は一巻の時点から京介に異性として好意を持っているわけではありません
その対象は過去の京介であり、彼女の中で理想化された「お兄ちゃん」へのものです。
つまり相反する現在の京介を否定するものです。
当初の彼女は自分の中にある理想像との摩擦により京介を受け入れることができない状態ということです。


一巻でエロゲーが好きであることを知った京介の台詞
「ああ。おまえがどんな趣味持ってようが、俺は絶対バカにしたりしねえよ」
への反応とは、麻奈実に否定されエロゲーに仮託することになった理想の「お兄ちゃん」への思慕を、初めて他者に肯定されたということです。
しかし、この時点では、まだ京介を「お兄ちゃん」だとは認められていない。
それでも「人生相談」を持ちかけざるをえないのは、これを彼に抱く期待を捨てられないからです


例えば、前日譚である雷雨の留守番において
桐乃は、俺と二人きりで他に見るやつもいないってのに、きちっと薄く化粧をしていて、それがまた俺たちの距離の遠さを象徴しているような気がした。
とあります。
後半は京介の感想ですが、同時に化粧をするという行為は異性として意識しているという証明でもある。
彼はこれを単純な距離感とだけ受け取りましたが、桐乃にとっては未だに残る過去の京介への意識の表出なのです。
このように、いつか理想の「お兄ちゃん」に戻ってくれるのではないかという淡い期待を持ち続けています

他にも、彼女はクリスマスの取材や偽装のデートの時に、京介がマニュアルにあるような理想的な対応を逸脱し、これに合致しない選択をすると怒ります
それは理想の「お兄ちゃん」であるならば、完璧なデートプランを考え、自分の気持ちを全て分かってくれるはずだからです。
本来ならそんなことは人間はありえないのですが、「冷戦」と表現される本物の京介との断絶の中で、理想がひとり歩きしているために起こっています。

常に期待しつつも失望し、現状の彼を肯定できないという相反する感情から、どうしても素直な感情を表せない。
それが彼女を定型文化すればツンデレと表される精神状態にしている原因です。


だから、「今の京介」という人間に好意を抱いていくのは物語開始後から父親と対決して以降の行動によるものです。
つまり、桐乃の心理としては、同一人物でありながら、別の人間に恋をしているような状況です。
初期の彼女は喩えるなら死に別れた過去の片思いを引きずっている状態なのです。




理想を否定するきっかけ


京介が過去の自分である「お兄ちゃん」の解体のきっかけを与えるのが、桐乃の『断固たる決意』を否定する5巻の海外留学先の桐乃への説得です。
この『断固たる決意』とはつまり、桐乃自身が行っている理想の「お兄ちゃん」を目標とする努力、言ってしまえば理想への同一化行動です。

それを京介自身が否定する。
今の桐乃を否定することは、潰れそうになった過去において、自分が理想を演じた行為を否定するんですね。
「できるわけないでしょッ! そんな情けないこと! あたしを誰だと思ってんの!?」「お前は俺の妹だ!」(中略)「おまえはもう、頑張らなくていい。凄くなくてもいい。(後略)」
この一連の流れは、京介の視点では自分のわがままで彼女を止めていると描写されます。

しかし桐乃にとっては、彼女がどんなに努力して再現してみても、理想の「お兄ちゃん」というものは決して存在できない空想上の存在であると認識させる行為です。
この挫折によって「自分が努力して何でもできるように、本当なら京介もできたはずだ」という今の京介を否定するための理論が破綻するのです。

そして同時に、理想的な人間でなくとも受け入れ肯定するという範例を示したと言えます。


この限界になっている相手を助けるという行動は、8巻にて京介が落ち込み桐乃が助けるという黒猫疾走事件ににて「鏡写しのような事件だった」と表現されています。
その時に京介は黒猫を連れ戻そうとする桐乃を見て
「決まってんでしょ! あたしは! あんたを連れ戻しに来たの!」惚れ惚れするような喝破だった。どんな無理難題も吹き飛ばすような力強さ。……かっこいい。不覚にも、そう思ってしまった。(中略)すぐ間近でこれをやられたのだとしたら、誰だろうと一発で惚れてしまう。
と感じている。
この鏡写しになっているということは、5巻の京介の行動において桐乃も同じ感想を抱いた可能性が高いということでもあります。


だから最終的に彼女が帰るという決断をすることは、存在できない過去の「お兄ちゃん」ではなく現在の京介を選んだという意味を持ちます。
しかし、それは京介の成長により、桐乃の中の理想の「お兄ちゃん」像へと近づいているという意味を同時に持っています。
未だ、現在の京介を全て肯定できているわけではない。

この時点では、まだ京介への恋は過去の「お兄ちゃん」と完全には分化されていません
現在の彼に惹かれつつも、同時に彼を通して過去の「お兄ちゃん」を見ている状況です。




現在との統合


桐乃が「お兄ちゃん」の存在を明確に否定できるようになるのは、黒猫の行動によるものです。
9巻の「真夜中のガールズトーク」にて明示されています。
「……あんたさ。好きな人の顔、頭に思い浮かべてみ」(中略)「そんな人はいないよ」あたしもようやく、認められるようになってきた。ずっとまえに指摘されて。認められず、いなくなったと思い込んで――バカな日々を過ごしてきた。遠回りして、すれ違い続けてきた。本当は、ずっと側にいてくれていたのに。(中略)「だから、ちゃんと本当のあいつのこと、見てやらないと」
京介が人間的な弱さを見せたことにより、彼女は自身の中で肥大化した理想像としての「お兄ちゃん」を否定し、同時に現在の京介を普通の人間として肯定する必要性を認識しています。
桐乃の認識として、京介が桐乃の抱く理想の兄のイメージへと近づいていたのですが、そうではなかったと気がつくのです。

そして同時に、現在の京介への想いが、想像の中の「お兄ちゃん」を超えているということでもあります。

この黒猫に向けた「本当のあいつのこと、見てやらないと」というのは同時に自分への言葉となっている
だから、ここからは過去に抱いた理想を否定しようとしている。
しかし、「見てやらないと」いけないという言葉は、未だ「そうしなければならないと自覚した段階」であり、まだ完全に過去の理想を排除できたわけでないということでもあります。
それは上記の会話の前にある「そしていまもたぶん、理解できていない。」という一節にも現れています。




「お兄ちゃん」からの脱却


そして京介を一人の人間として認められるのが、11巻での麻奈実との対話で
「(前略)『お兄ちゃんっ子』だった当時のあたしは、『背伸びしていた兄貴』のことを、カッコいいって思ってたの。頭がよくて、足が速くて、誰よりもがんばってて、自分のことを特別な人間だと思っている――そんな人にあたしもなるんだって、憧れてた」(中略)「――でも、そんな人はいなかったんだよね」
「あたしが憧れていた人は、結局どこにもいなかった。いるのは、いまのこいつだけだよ」
と自分自身に向けて口に出せた瞬間です。
これによって桐乃は恋い焦がれた想像上の「お兄ちゃん」を完全に否定し、その対象が現在の京介となるのです。

だから麻奈実すら「せっかく直ったと思ったのに、悪い癖、再発しちゃった?」と、過去の京介に戻りつつあるのではないかと感じた時に
「いまの兄貴は、『昔の兄貴』に、戻ってなんかいないよ」
と答えることができる。

本人よりも京介を理解していた麻奈実に対し、この瞬間はそれを上回ったのです。
それは何年にも渡り理想と現実の京介の間での懊悩を抱え続けていたがゆえの成果でしょう。


総論

以上のように、京介に対して桐乃が恋心を抱いていくのは1巻の京介の行動からということになります。
それまでの好意は、過去に抱いた想像上の「お兄ちゃん」へのものであり、それは現実に存在する彼ではない。
だから、理想のような人であって欲しいという期待は抱いても、決して今の彼を肯定はしないのです。

桐乃が幼少期の理想の恋から脱却し、人間としての異性として京介を正面から見れるようになる過程が、この物語の一つの大きな骨子となっているのです。

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