2014年3月13日木曜日

俺の妹がこんなに可愛いわけがない 双子トリック・探偵小説的に読む俺妹

双子のトリックとは

双子のトリックは、探偵小説の定番の一つとして存在します。
外見が同じ人間ば便利なので多くの使い方が考案されていますが、その中に一人の人物だと周囲の人間が認識していた存在が、実は二人の人間によって入れ替わっているというものがあります。
これにより一人が確保したアリバイを利用してもう一人が反抗を行うことが可能になるという寸法です。




俺妹におけるトリック

俺妹も、極論すればこの双子のトリックによって成り立っている作品です。
つまり、主人公は「自分は高坂京介という一人の人間である」という意識で語ります。
しかし桐乃にとっては「現実の兄である京介と3年前に失われた兄である京介は別の存在」として認識されている。
だからこそ、京介の視点からでは彼女の言動に一部整合性のないように感じる。


俺妹を探偵小説に見立てるならば、

高坂京介は事件の語り部たる探偵の助手であり、

桐乃は人に明かせぬ秘密を隠し持つ犯人

そして麻奈実が全ての謎を解説する探偵なのです。


探偵の解説を読んでから、もう一度読み返すように、俺妹も11巻で明かされることになる「二人の京介」というトリックを認識した上で読み返すと判明する事実が多数隠されています。




トリック活用の事例

例えばその二重性が発揮される場面として、10巻にて桐乃との仲を疑われた京介が一人暮らしを言い渡されるシーン。
別にそこまで自信があるわけじゃないんだが、
「まあな、任せとけって」俺は不敵に応えてみせる。すると桐乃は露骨にいやそうな顔になった「…………桐乃。なんだその顔は」「……別に」(中略)「じゃーね、ばいばい。ずっと帰って来なくてもいいよ」
最後の「ずっと帰って来なくてもいいよ」の意図を読み解くにも、この二重の京介というトリックが鍵として必要になります。
後の京介を何度も激励する行動から見ても、この時点での桐乃は彼がいなくなることを肯定するためにこの台詞を語ったわけでないのは明白でしょう。

発言した時の状態

まず、この台詞の前の会話にて「両親から二人の中が急に接近しており恋愛関係に発展したかもしれないので京介に一人暮らしをさせる」とを告げられます。
後半で母親の口から、本当に疑っていたわけではないとネタばらしされますが、京介と桐乃はこの時点でそれを真実だと思っています。

それを告げられたことでの桐乃の心情を解説しているのが、後の御鏡との会話です。
「妹と結ばれるにあたって、ご両親が反対するであろうことがハッキリしてしまったのも二人にとっては厳しい材料だ」
これは京介に向かって語られていますが、内容としては自分の想いに京介よりも自覚的な桐乃にこそ強く当てはまる内容です。

嫌そうな顔をした理由

彼女は理屈では認められない関係であると理解している。それは過去の麻奈実からの刷り込みで学んでいます。
しかし現実として麻奈実と同じような否定を両親から直接語られ、それを正視するというのはこれが初めての経験です。
これによる精神的な動揺は京介以上に強かったでしょう。

そこに続く京介の「任せとけ」は、桐乃にとって初めての恋の相手である「お兄ちゃん」である京介を連想させる台詞です。
この段階では、「お兄ちゃん」への想いと、現在の京介は統合されつつあるのですが、完全にそれを受け入れられるのは11巻の麻奈実との過去の話が必要になります。
彼女にとってこの状況は、直前に両親によって否定された自身の恋を、目の前で確認するように見せつけられたということになります。

目を背けられない桐乃の問題

こういった物語の語り部である京介には認識できない心理状態が「ずっと帰って来なくてもいいよ」という台詞に繋がる。
桐乃は11巻の巻末での黒猫とあやせとの会話にもあるように、自身の恋をどこかで諦めねばならないと認識している。
その諦める為の契機として、海外へ陸上で留学し、偽の恋人を作り、そしてまた卒業を契機にモデルとして海外へ行こうとしているのです。
どうしてもその想い捨てられないにも関わらず、桐乃は常に諦観を抱え続けています

自分と過去へ向けた言葉

この台詞は単純なツンデレ的言動として現在の一人暮らしをする京介に向けられたものではなく、厳しい現実と直面させられた瞬間に、
自身の報われないだろう感情に向けて言われた言葉
そして、現在の人間としての京介に惹かれる桐乃として、理想の異性としてしか見ていなかった
過去の「お兄ちゃん」としての京介に向かって言われる言葉
ということになります。
つまりこの言葉とは「任せとけ」によって連想された「お兄ちゃん」へ向けられた現在の京介を肯定するための言葉でもあるのです。


彼女が麻奈実をあれだけ強烈に嫌悪するのも、その言葉の反論できない正しさを認識しているからです。
理論では絶対に敵わないからこそ、代替としてそれを語った彼女個人を否定するしかなかった。
彼女は麻奈実という個人ではなく、彼女の語った言葉をこそ受け入れられなかったのです。

そして同じように、目前で見せられた手に入らないと思い込んでいる願望の対象に対して、その存在を否定する言葉しか語ることができなかったのです。

総論

このように一人称という形式を取る以上、明確に語れるのは京介の視点だけであり、桐乃の思考というものは、彼の得た情報から読者が推測するしかない。
しかし、その語り部たる京介は11巻での探偵=麻奈実による解説までその構造を認識することはなかった。
そして12巻で「スーパー京介」として語り部の役割を放棄することで、自身の意図と解釈の全てを読者に説明することなく物語は完結する。


だからこの物語を読み解くためには、探偵小説のお約束である「読者への挑戦状」の時点で思考するように、読者側からの理解によって事件の裏を穴埋めする作業が必要になるのです。

推理の過程を省いて物語を認識してしまうと、最終巻、そしてエピローグの解釈が変わってしまう。
特に京介と桐乃の行動と、そこに現れる両者の認識の違いからその思考を読み取らないと、エピローグでの行動の意味が180度転換してしまう


その結果、同じ小説を読んでいるはずなのに、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」はバッドエンド、ビターエンド、ハッピーエンド、その認識の違いが混在してしまうということになるのです。








ちなみに「まあな、任せとけって」の台詞はアニメではカットされました。

2 件のコメント:

  1. アニメから入って原作を読み始めた者です。まだ途中なのですが、ネットを調べると最後の12巻に対してひどい記事ばかりで辟易してました。特に気になったのは作者をけなしている点です。11巻までとは別人という人までいてどうかと思っていたのですが、ここに来て救われました。とにかく納得です。安心して続きを読めます。解説ありがとうございました。

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    1. 前のページにコメントしたはずが、次のページになってしまいました。続きなのでこちらでもよいでしょうが。

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